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Yuko Yoshida &Atsuco iwasa

#4 お留守番のシチュー

更新日:2021年11月1日

KItchen Story 『検索しても出て来ないレシピ』


武田寿子さん 80歳

ご主人と二人暮らし


息子さん、家庭を持ちご近所に。

娘さん、家庭を持ち東京に。

お孫さんが2人。


『私、物に執着が無くて何でもすぐに手放してしまうのよ、写真も子供達が持って行った物以外は捨ててしまったわ』

昔の写真を見たがる私達に寿子さんは言います。

戦後の時代を前衛的に生きた寿子さんは、自身の物語は心の中にだけ輝かせながら、

只、前を見つめて歩んでいる。

80歳になった今も、未来の社会や子供達の為に出来る事を実行する。

その凛とした佇まいの中にあったのは、幾重にも重なる優しさでした。



*寿子さんのホスピタリティ


寿子さんをよく知る人は、

『寿子さんのカレーが美味しかった』

『寿子さんのスペアリブは絶品だった』

『クリスマスのチキンが』…と口々に寿子さんの作る食事の話をします。

一体どのくらいの人が寿子さんの食事に魅了されて来たのでしょう。


寿子さんのご主人、武田建さんは、大学教授であり、関西学院大学理事長、関西大学アメリカンフットボールの名誉監督も勤められました。

明るく社交的で、仕事でもプライベートでも、人との関わりが大変多い方ですが、ゲストを迎える際には外食よりも自宅で接待される事が多かったそうです。

と言う事はつまり、その度に寿子さんが食事を用意して来たと言うこと。

留学生を始め海外からのお客様、学生や選手達に食事を振舞う事も度々。

ある年にはゼミの謝恩会をご自宅で開催された事も。

ほんの数年前には、建さんの知人からの依頼で、下宿生活の選手3人への栄養ある食事提供を、週に一度、体の大きな学生選手3人に、とにかくスタミナの出る栄養満点の食事をお腹いっぱい食べさせると言う事を1年間続けたそうです。


『フルタイムで仕事を抱えながら、頻繁に来客の準備。それって大変じゃなかったですか?』と言う問いには、

『忙しかったけど、海外からのお客様も多かったし、色々なお話が聞けるので、それが私の楽しみにもなっていましたよ。』と寿子さん。

『私だって働いてるんだから、勝手にどんどん人を呼ばないで!』とはならないのか、と、もうその時点で脱帽してしまいます。


人と出会い関わる事への興味と信頼。

取材させて頂いている私達にさえ、『せっかく来て下さったのだから』と次々に素敵なおもてなしをして下さいました。

このホスピタリティと奉仕の精神は、キリスト教の教えからなるものなのか。

『私ね、とにかく早いの、食事も直ぐに出来る上がる物しか作らないんです』と。

実際、寿子さんのお話に夢中になっている間に、お鍋ではコトコトとシチューが良い音を立てていて、大きな皿には柿とくるみが散らされた菊菜のサラダが盛り付けられていました。



*朝ドラの様な半生


寿子さんと建さんとの出会いは、寿子さんが中学3年生の時。

寿子さんの通う塾に、非常勤の英語講師として就任したのが、9歳年上の大学生だった建さんでした。当時はただ『面白くて素敵な先生』と言う印象。

授業を見て貰う様になって数カ月程経った頃に建さんはアメリカへ留学する事に。

当時の海外は、今の様に気軽に行き来できる環境に無かったので、アメリカは随分と遠い場所でした。

建さんの渡米の日、『女の子が1人で港に行くなんて危ない』とお父様が同行して下さり、寿子さんは中突堤で、カラーテープを切って出航して行く船を見送ったのだとか。


それから少し経った頃、寿子さんの通う学校に、エアメールが届きます。

建さんからの物でした。

後になって聞くと、『お世話になった方々にお手紙を書いた後に、余った便箋で、連絡先が分かりそうな生徒達に手紙を書いただけ』と仰ったそうですが、本当の所は分かりません。

とにかく、そのエアメールを封切りにお二人の文通が始まり、それは15歳の中学生だった寿子さんが21歳のキャビンアテンダントになるまで、実に6年間続いたそうです。


建さんの帰国が決まったのは寿子さんが21歳の時。

それも、寿子さんがキャビンアテンダントとして搭乗する予定のフライトで日本に帰ると言う計画でした。

しかし2人が乗る予定だった便が機体トラブルで欠航になってしまいます。

携帯も無い時代でしたので、周りに協力して貰いながらなんとか連絡を取り合い、トランジットのホノルルで待ち合わせをし、ホノルルの美しい夕日の前で6年ぶりの再会を果たしたのです。


日本に帰国すると、建さんから早々に結婚を申し込まれたそうです。

当時の日本では、女性が働くのは結婚するまで、それに加えキャビンアテンダントの定年は30歳でした。

女性達はフェミニズムを訴え、寿子さんも頭にハチマキを巻き制度改正を訴える運動に参加しました。その位仕事を楽しんでいた寿子さんは、まだまだ働きたい気持ちに後ろ髪を引かれつつも、建さんの申し出を受け、2人の結婚生活が始まります、寿子さん22歳の時でした。



*料理と一緒に旅をする。


娘さんが5歳、息子さんが3歳の時に、建さんの仕事でアメリカへ移る事になりました。

ミシガン州のデトロイトで1年半を過ごす中で出会った多国籍な方々と、それぞれの国の料理を紹介しあったり一緒に作ったり異文化交流のサークルに多く参加しました。

当時は出会う物全てが目新しく刺激的だったそうです。


帰国後に建さんのお母様が亡くなられ、お一人になられたお父様と同居する様になります。

明治生まれのお父様は大変厳しく、『女性は家の中にいるものだ』と言う考えでした。

出掛ける時に鍵も持たず、買い物から帰ると、ドアの前で仁王立ちで待っていた事もあったそうです。

そんな厳しいお父様を説得し、寿子さんは知人の紹介で医学部教授の秘書の仕事を始めました。

お父様は『男が2人働いているのに、どうして女の寿子まで働く必要があるのか』と大反対。

『絶対に迷惑はかけない、18時には必ず食事を用意する。』と言う条件でなんとか納得してもらい、寿子さんは仕事復帰を果たしたそうです。子供達は小学生になっていました。


仕事から帰宅すると30分で食事を仕上げる日々。

『わー大変すぎる!』と言う私達に、

『仕事帰りの電車の中で、献立の事とか手順のシミュレーションをするのが楽しくて大好きな時間でしたよ』と寿子さん。

この経験から、寿子さんは、常備する野菜リスト、お買い物のコツ、前もって少しずつ下準備する事や、前日の夜に殆ど仕上げておく事、つまり、過去の自分と協力し合う料理作りのノウハウを手に入れたのです。


娘さんは、小さい頃から国際交流の機会に恵まれた影響もあり、自然と海外に目を向け、高校からイギリスの全寮制カトリック校へ進学、就職のタイミングで帰国し、現在は東京で家庭を持ちながら、学習院大学教授をされています。

息子さんも、大学生の時は1年の留学経験を経て、現在関西学院大で教授職に就かれています。

寿子さんは、厳しかったお父様が亡くなられた後も、国際的な仕事や教育に携わる仕事に従事され活躍されています。

子供達が家を離れてから、お二人は再び渡米し、テキサス州で1年間生活されたそうです。

どんな時も、どこに行っても、建さんと一緒に出会った方々と食卓を囲み、同じ物を食べながら違う人生を交わらせる。

常に前を見て、臆する事なく未来を照らして進む寿子さんにとって、人生は冒険で、料理はその相棒。

新しい人や文化に出会うたびに、豊かに膨らんで行く経験と食事。

寿子さんのレシピは、まるで『冒険の書』の様です。


お話を伺っている間に、設えっれたクリスマスの食卓。

ベランダに干されていたキノコも、頂き物だと言うチーズも、残り物だと言う金柑のシロップ煮も、『せっかくだから』と、どんどんご馳走に変えて振る舞って下さる寿子さん。


食事を食べさせて貰うと言うことは『あなたを受け入れます』と言われているのと同じ事なのだと改めて気づかされました。

多くの、本当に多くの方が、寿子さんの食事を語るのは、そこで受け入れられた心の暖かさを忘れないからなのでしょう。

寿子さんの深い優しさに触れ、昔、こう在りたいと憧れた聖書の言葉を思い出したので、クリスチャンである寿子さんへの敬意を込めて、最後に引用させて頂きます。


It’s more blessed to give than to receive.

与えられるよりも与える方が幸いである。

(使徒言行録20:35)




*お留守番のシチュー


『今回の取材を受けて、娘に思い出に残ってるメニューって何?って聞いて見たら、意外でした』と寿子さん。

手をかけて作ったな、と思う特別なメニューでは無く、寿子さんにとっては簡単で取るに足らないと感じる、お野菜がゴロゴロ入ったスープシチュー。

これは、前日から作っておけるし、二日目の方が味が染みて美味しくなるので、夜、仕事で家を開ける時のお留守番メニューだったそうです。


母親が不在の夕食は、自分を信頼して任された様な気がして、なんだか嬉しくて張り切っていた自分の子供の頃の記憶が重なりました。


このお留守番シチューには寿子さんの過去の自分からのアシストが多く活用されていました。


①ニンニクストック

ニンニクは買ってくるとすぐにみじん切りにしてオリーブオイルにつけて冷蔵庫に入れておく。

②mixハーブ

オレガノやタイム等のハーブ類も購入したらmixして瓶に移し替える。

③冷凍トマト

おいしいトマト(特に夏のフルーツトマト)は購入したら洗って丸ごと冷凍しておく。

トマト缶より良い味が出る。



この3つの下準備がある事で、即席では出せない味の深み、ワンランク上のおいしさが作り出せるのです。



お留守番のシチュー


牛スネ肉 500g

玉ねぎ 2個(1個はスライス、1個は大きめのくし切り)

人参 1本

じゃが芋 大きめ3個

冷凍トマト 3個


①牛スネ肉に塩胡椒とハーブミックスをマリネしておく。

②鍋にニンニクオイルを入れて香りが出たらお肉を炒める。

③そこにスライス玉ねぎ1個分を入れ、しんなりして来たら水を1L、ローリエを入れて20分コトコト炊く。

④皮を剥かずに大きく切ったニンジン1本、大きく串切りにした玉ねぎ1個、

冷凍トマト3個をヘタごと入れて、更に0.5Lの水を加える。

⑤大きめに切ったじゃが芋をいれる。

⑥味を見て一味足りなければ鶏ガラスープの粉末を少し足し

4等分にしたピーマンも加えて更に炊きます。




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