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  • Yuko Yoshida &Atsuco iwasa

#3 パートナーはさつま芋

更新日:2021年11月1日

Kitchen Story 『検索しても出て来ないレシピ』


前田亜季さん 40歳

夫、長女13歳、次女6歳、三女4歳、四女10ヶ月。

6人暮らし。


まだ小さな赤ちゃんを抱っこして、砂糖菓子の様な優しい笑顔で迎えて下さった亜希さん。

隣では亜希さんの背を少し追い越したお姉ちゃんが少し照れ臭そうに会釈してくれる。

その周りを6歳と4歳の妹ちゃん達が、まるで風に舞う落ち葉の様に飛び跳ねたり回ったり。

何とも甘いお出迎えに、初めましての緊張もすっかり和らぐ。

愛情溢れる暖かい空気が家中に満ちていて、

子育ての苦悩や葛藤、反抗期や育児ストレスとか、

そう言う物とは遠く離れた場所にある様な、そんな第一印象だった。


*手をかけると言う事

奈良の農家で育った亜季さんは、米や野菜をお店で買う習慣が無く、スーパーマケットを初めて利用したのも結婚してから、外食も殆んど未経験だったそうです。

「実は自分で電車に乗ったのも社会人になってからなんです。」

そんな亜季さんは、結婚した当初、スープを作る事も、お米を上手く炊く事さえも出来なかったのだとか。

それでも、お惣菜やインスタントは利用せず、家族が自分にしてくれていた様に、自分も『手をかけて作りたい』と思ったそうです。

「失敗もしたし、時間もかかって、主人は我慢していたと思います。」と懐かしそうに話す亜季さん。もちろん、今では4児の母、すっかりベテラン主婦になっています。

亜季さんは、野菜をスーパーで買うのでは無く、出来るだけ道の駅など、産直のお店まで足を伸ばして購入する様にしているそうです。

そこには新鮮である事、安全である事の他に、都会で育つ子供達に、米や野菜の成り立ちが少しでも伝わるといいなと言う思いがあるのだとか。

「食事作りは得意では無いので調理法はシンプルに、ただ出来るだけ季節の素材を使う事だけ気を付けています」

ベランダに所狭しとコンポートを並べ、色々な野菜を育てている亜季さん。

「これは苺のコンポートタワーなんです。どの位苺がなるか子供達が楽しみにしていて」

朝は娘さんのお弁当作りの為、4時半に起床。

朝一番にベランダに出て植物達に水をやるのが亜季さんの好きな時間だそうです。

ただ、これをすると後から起きて来た子供達が『やりたかった』と怒るのだとか。

『手をかける事』を『面倒な事』と捉えない亜季さん。

それは、おもちゃは何でも作ってくれた大工のおじいちゃん、着物を塗ってくれた和裁士のおばあちゃん、米や野菜を育てるお父さんと台所に立つお母さんの姿、そんな手をかける事を惜しまなかった家族の記憶が根底にあるからなのでしょう。


*アメリカでの子育て

亜季さんの人生を大きく動かしたのは、子育てでした。

現在13歳のお姉ちゃんは、生まれてすぐに命に関わるほど重度のアレルギーがある事が分かりました。卵や乳製品は勿論、小麦や大豆やお米まで、食べられない食材よりも食べられる食材を上げる方が早い位。

週に4,5回病院に通い、アレルゲンを除去する為の掃除法(1㎡に対して掃除機は5分かける)、洗濯の仕方、洗剤選び等、数々の細かい指導を受け、台所に立ちっぱなしで対応食を作ったり、飲み水は勿論、沐浴にも取り寄せた天然水を沸かして使っていたそうで、時間もお金も、アレルギー対策に全て消えて行く、そんな毎日。

それでも子供の肌荒れは酷く、ある時には虐待を疑われ通報された事もあったと言います。

そんな壮絶な子育ての真っ只中に、ご主人は今と比べると随分亭主関白で、亜季さん自身も周囲に甘える事が出来なかったそうです。

「当時のママ友は親切で、皆んなが『手伝うよ』と声を掛けてくれていたけれど、『ありがとう大丈夫』と返すことしか出来なくて、その位余裕が無かったんだと思います。」

そんな中、ご主人の転勤でアメリカへ移り住む事になりました。

お姉ちゃんが4歳の時でした。

「アメリカで通わせたスクールで、子供のアレルギーについて先生に色々伝えていたら、『亜季、そんなに頑張らなくても大丈夫よ、あなたの子供だけが特別じゃ無いよ』と言われて、すーっと力が抜けて気が楽になったんです」

多くの民族が暮らすアメリカでは、アレルギーも宗教も様々で、食の多様性が当たり前に認められていて、『自分だけが特別じゃ無いんだ』と思える環境でした。

亜季さんは、いつも子供が可愛くて愛おしくて堪らなかった、けれど、重度のアレルギーを持っている事で周りから特別視され、「あれもこれも食べられなくて可哀想」「美味しいものが食べられなくて可哀想」「大変でしょう?可哀想に」と言われる事が多く、「え?可哀想なの?可哀想だって思えないとダメなの?」と、いつも少し複雑な思いを抱えていました。

でも、アメリカではそれも個性の一つとして受け入れられ誰もそんな風に見ない、それはとても居心地の良い環境でした。

また近くに親戚のいない家庭が多いアメリカでは、コミュニティー内で協力し合う体制が整っていました。

亜季さんが2人目を出産した時には、友人達が当番表を作って、お姉ちゃんの送迎やご飯作りを手伝ってくれました。盛り付けやラッピングなどの気張った事は無しで、お鍋ごと食事を届けてくれたりして、それは完璧主義で甘えるのが苦手だった亜季さんの心を溶かして軽くする、暖かい経験でした。


*家庭は子供の最初の社会

日本に帰国したのはお姉ちゃんが7歳の頃。

完全送迎のアメリカと違って子供が一人で歩いて登下校するのも初めての経験でした。

アメリカでは昼食もお弁当だったので、しっかりとアレルギー管理が出来たけれど、日本では給食になりアナフラキシーを起こす事にも不安があったそうです。

けれど、子供を信じて送り出す。

子供を信じて食べさせる。

この頃には、随分勇気を持って子供のアレルギーと向き合える様になっていたと言います。

「子供にアレルギーがあると、可哀想に思って、親も一緒に食材を制限したり我慢したりする家庭もあると思うんだけど、子供が外に出た時と同じ環境を家庭でも作る様にしました。

例えばスイーツを食べる時に、もちろん代わりになる様な物を子供にも用意するんだけど、『それも美味しいけど、これも美味しいよ、これも食べられる様に少しずつトレーニング頑張ろうね』って声かけして、『私は食べられないのに!』と言われても皆んなで食べる事を大切にしてました。過保護は子供が社会に出た時に自分の身を守れないと思ったので、おばあちゃんからは『かわいそうに』とか言われたりもしましたけど」と強い眼差しで話す亜季さん。

「アメリカで二人目を出産して、その子も多くのアレルギーがあると分かり、乳幼児の大変な時期を過ごしながら、ふと『これを乗り切ったら、私この経験を生かして誰かの役に立てるかも』と言う考えが浮かんで、そしたら凄く前向きに頑張れる様になったんです」

その後生まれたお子さん2人もそれぞれにアレルギーがあり、今も亜季さんはそれぞれのアレルギー対策をしながら多忙な子育ての真っ只中です。

今では1番上のお姉ちゃんが、まるでもう1人の母親の様に妹達の面倒を見たり、最近では自分で進んでお弁当作りもしているそうです。

亜季さんは、去年、アレルギーのお子さんを持つママの為のメンタルサポートの仕事を起業されたそうです。また芦屋市の子育て支援にも関わっています。

あの時、アメリカで、亜季さんの心にふと浮かび、亜季さん自身を支えた小さな思いが、しっかりと形になり、今、多くの子育てママ達の心を軽くしています。

子供のアレルギーは悲しむ為にあるのでは無く、ママの感性を研ぎ澄ませるスパイスの1つだと。

『私の場合、子供のアレルギーでしたけど、それだけじゃ無くて、子育てしていたら色んな悩みがあるでしょう?どれも根本的には一緒だと思っているんです。お母さんが苦しかったら子供も苦しいから、まずはお母さんに楽になって欲しい』と。

そして子供達にいつも伝えているそうです。

『アレルギーで我慢したり切ない思いをする事もあるけど、

みんながあなたの為に特別なおやつを用意してくれたり嬉しい経験も沢山するでしょ?

だからアレルギーはギフトなんだよ』と。

家族は宝物で、アレルギーはギフトだと、亜季さんは言います。


多くのアレルギーを持つ子供達に、安心して食べさせられるお芋は、おかずにもなるしスイーツにもなる、亜季さんの子育ての1番のパートナーだったそうです。

子供達に『お母さんのお料理で何が好き?』と聞いてみると

『お芋の天ぷら』『スイートポテト』『どら焼き(芋餡)』

とお芋を使ったメニューが沢山挙げられました。

今回は、そんな亜季さんの子育てを救ったお芋メニューをご紹介頂きました。


お芋の天ぷら

芋 1本

米粉 150g

卵 1個

ルイボスティー 190-200ml


揚げ油 グレープシードオイル8割 菜種油2割


どら焼き(お芋餡)

さつま芋は蒸して皮をむき、熱い内にペースト状にして

甘さを見て甘麹を加える。


米粉ミックス 200g

豆乳 170ml

卵 1個


軽く油を引いたフライパンを温め、10cm程度の円形に流し入れ

弱火でゆっくり両面を焼く


焼き上がったどら焼きの皮に芋餡を挟み、ラップで包んで少し休ませる。


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